Project
IoWプロジェクトの原点ワインからセンサーを作った時代がありました。
私たちは今、センサーでワインづくりに貢献したい!
潜水艦のセンサー(パッシブソナー)を作るためにワインを作っていた
ワインに石灰を加えると酒石酸水素カルシウムになる。これは酒石と呼ばれる。
生成した酒石は潜水艦の水中聴音機(パッシブソナー)に必要なロシェル塩の代替品として利用されたと言われている。
おいしいワインを作るためにぶどうの育成状況監視センサーを作った
ぶどう圃場にぶどう育成状況監視センサーを埋め込み、土中水分、phを測定、自動的に計測。また、高解像度カメラを搭載したローバーを遠隔で操作し、ぶどうの育成状況を監視。これにより、土中水分、phをデータに基づきコントロールできるようになる。
長野県塩尻市で「桔梗が原ワイナリーフェスタ」というワインイベントが毎年開催されています。
参加するようになって10年ほどになりますが、そこでこんな話を聞きました。
「ワイン用ぶどう農家が激減している。しかしワイナリーは急激に増加していて250ほどだったワイナリーは400近くになる勢い。」というのです。
それ以後、ワイン用のぶどう生産者に興味を持つようになりました。
その中で、「日本のワインは“不味い”」という印象が戦争によって植えつけられたのではないか?という仮説が浮かぶようになってきました。
その背景にはワイナリーフェスタに参加している塩尻志学館高校の謎の存在があります。
公立高校でありながらワインの醸造免許を保有している。ただし、販売の免許は持っていない。公立高校がワインをつくり、文化祭の時に小売りしているのみ。
文化祭では長蛇の列になり、あっという間に売り切れるのです。
なぜワインを飲めない高校生がこんな人気のワインを作っているのか。
その謎を解くカギが国税庁のホームページに掲載されていました。
戦時中、潜水艦に装備する水中聴音機(パッシブソナー)をつくるために必要な酒石酸(ロッシェル塩)を採取する必要がありました。酒石酸はワイン醸造過程で折出することから、敵国から狙われにくい高校の学び舎でワイン醸造を積極的に行わせ、増産したのです。
その名残で、酒類の販売免許を持たず醸造の免許のみが与えられた農業科を持つ塩尻志学館高校は、戦後も醸造免許の更新を行ってきた ということです。
酒石酸を取り除いたワインはとても飲めたものではなく不味い飲み物になるそうです。
しかし戦時中は捨てずにワインとして地域で飲まれたそうです。
つまり、酒石酸が取り除かれた不味いワインが日本人の庶民にとってのワインとして広がったのではないか?という仮説です。
このプロジェクトに参加していたメンバーから声が上がりました。
昔、センサーを作るためにワインを作った。
いま、美味しいワインを作るためにセンサーを装着する!
やってみよう!
と歓声を上げたのです。
これが、今回のInternet of Wineプロジェクトの核となりました。
創立100年の歴史を有する農学校を前身とし、農業に関する設備や教職員も充実しており、塩尻の特産であるブドウを原料としたワインを1943年(昭和18年)より醸造し「KIKYOワイン」のブランドで知られている。
終戦(1945年9月2日)末期に酒石製造の為、ワイン醸造の免許を大本営が与えている。